帰省
中央道を西へ。
2021年12月28日、帰省のスタートだ。
途中、渋滞もなく順調に進む。渋滞のピークは明日からのようで一足早くスタートできたおかけで快適な旅路となった。
諏訪湖SAでお昼休憩。
次女はカツカレーを選択した。私はつけ麺をチョイスしたがカツカレーが正解だった気がする。
途中、長野県松本市に立ち寄って松本城の観光をする。歴代城主の灯籠が並ぶ堀を渡っていざ入城。
現在、天守の建物を残す城は全国で12城。そのうち5重の天守は松本城と姫路城だけなのだそうな。天守を囲んで三重の水堀が巡らされている。
アルプスの山々を借景として堀に姿を写す天守は絶景だ。
堀は表面が凍っている。今年の年越しは寒波の影響で寒さも厳しいのかもしれない。
大手門を通って入場する。
戦国末にあげられた天守に、世の中が落ち着いた寛永年代に増設された月見櫓がついている。月見櫓は舞良戸で三方を開放し朱塗りの刎高欄がまわりをめぐるという優雅なまったく武備がない建築物となっている。天守の建物に月見櫓が接続しているという造りは松本城だけで、時代によって天守の意味づけが変わってきた様子をみることができる。外観は五重、内部は六階の構造になっている。外観は層塔型のように下から上に向かって細くなっていっているが、内部には三階に屋根裏部屋のように外から見えない階ができている。これは乾小天守でも同様で、外観三重だが内部は四階になっている。この外側から見えない階ができるのは、望楼型と呼ばれる天守に共通することで、松本城は、構造は望楼型でありながら、外見は層塔型のように見える天守になっているとのことだ。
松本城を後にして、本日の宿に向かう。
年末の恒例行事となっている「ひらゆの森」へ。
年末になっても料金が変わらず、8,000円台で夕食も食べられるお気に入りの宿だ。
雪を見ながらのんびりと入れる広い露天風呂もとても良い。
屋根からは長い氷柱がぶら下がっている。
雪はそれほど多くないが気温は−8°だ。
一面雪景色の中庭が美しい。
中庭の池は凍っている。
夕食は豪勢ではないがのんびりといただける。
山菜とサラダ、サーモンのお刺身と飛騨牛の焼き物、イワナの塩焼きが付く。魚がまだ焼いているところで肉もまだ焼いていないため非常に質素な食事の写真になってしまった(笑)
神代、飛騨娘、深山菊、蓬莱の利き酒セット(1,000円)を注文した。
味わいは蓬莱が一番好みかな。酒は辛口と勝手に思い込んでいたが実はやや甘めの口当たりの良いものが好きなのかもしれないな。
長い廊下を渡ってお風呂へ。昨年はコロナ禍のためくることができなかったが廊下が綺麗になっている。
男湯の入り口。入口も綺麗に改修されていて心地よい。
こちらは貸切風呂の様子。大きな釜のようなお風呂だ。写真では半円のように見えるが壁が開くようになっていて残りの半円は露天風呂になっている。体が温まったら一度外に出て体を冷やす。体が冷え切る前にもう一度湯船に浸かる。エンドレスに繰り返せそうだ。心身ともにリフレッシュした翌日は髙山市内へ観光に立ち寄る。
高山陣屋前にやってきた。
江戸幕府は金森氏が6代に渡り支配してきた飛騨の国に着目し、元禄5年[1692]に直轄領とした。直轄領とは幕府が直接支配した土地のことを言い、幕府の重要な経済的基盤となった土地のことだ。飛騨の地が直轄領になった理由は現在明らかではないが、飛騨国の豊富な山林資源が背景にあったと言われているとのことだ元禄5年[1692]から慶応4年[1868]に至るまでの176年間、高山陣屋において、25代の代官・郡代が
幕府による飛騨支配のための執務を行った。
陣屋前の宮川にかかる中橋は有名な写真スポットだろう。雪の時期は本当に美しい。
古い街並みを散策しながら食べ歩きできるものを探す。
コンビニもご覧の通り、街並みに合わせている。
みたらし団子を食べる。
この後、さらに牛まんを食べた。牛肉がしっかりと入っていてとても美味しかった。いわゆる肉まんとは全く別の食べ物だ。
一番並んでいたのは飛騨牛の握り寿司だったが寒かったので暖かいものを食べた。
牛まんはとても美味しかったのでおすすめだ。
東海北陸自動車道を南下して一路、名古屋を目指す。
年末年始は実家でゆっくりとくつろがせていただこう。